台湾で神様と呼ばれる一人の日本人
今日はタイトルにある通り、
台湾で”神様”と呼ばれている偉人を紹介したいと思います。
彼の名前は、『八田與一(はったよいち)』
台湾が日本に統治されていた時代に水利技術者として台湾へ渡った人物です。
そんな彼が台湾で”神様”と呼ばれる由縁は、彼が台湾で成し遂げた偉業によるもの。
15万haもある台湾でも大規模な土地、台湾南部の嘉南平野(嘉義・台南)は、
深刻な水不足によって旱魃の危機にさらされていました。
そんな土地を救うべく、国会に計画案を提出、承認され、国家公務員の立場を捨て受益者によって結成された組合の技師として10年間もの間、嘉南平野の開発に取りくみました。
嘉南平野の開発に携わる作業員の福利厚生(宿舎・学校・病院)等の整備も行い、
広大な嘉南平野の土地に16000Kmに渡って水路が張り巡らされ、
総工費5400万円(半額国費で負担)もの大事業を成功させました。
『八田與一』氏の政策の一つとして『3年輪作』もあります。
この広大な地域に必要な水の量の3分の1しか供給できないため、
米・サトウキビ・畑作を順に行いました。
ダムの建設により、米の収穫量は11倍、サトウキビ・その他作物は4倍にも膨れ上がり、
台湾産の作物を輸出できる様にもなりました、
また、ダム建設中のトンネル掘削作業中の多くの死傷者がでた爆発事故や、
関東大震災による予算軽減のための人員削減の際も、
「台湾人が使う物はできるだけ台湾人で作る」
そして再就職を考慮し「優秀な人の方が再就職しやすい」という考えから、
優秀な人から優先的にリストラの対象に入れるという
台湾人・日本人の差別がない決定を下したことも
彼が評価される一因となっていると思います。
『八田與一』氏が建設した『烏山頭ダム』『曽文渓ダム』は現在でも使用されています。
台湾では現在も台湾総統が参加のもと慰霊祭が行われ、
教科書に記載、銅像や記念館も建設、
ドラマや映画の題材に使われるほど有名で尊敬されている人物です。
「今自分たちがお米を食べられているのは、
八田與一先生のおかげです、神様の様な存在です」
現在でも台湾で語り継がれている一人の日本人。
日本ではあまり知られていないかもしれませんが、
異国の地で逆境にあらがいながら残してくれた功績のおかげだと思います。
私自身、台湾で生活する様になり歴史の授業で『八田與一』さんの存在を知りました。
私が台湾で食べているお米や野菜、全てのものが『八田與一』さんのおかげだと思うと感慨深いものがありました。
そしてまた、同じ日本人として誇らしい気持ちになりました。
今日は、台湾で最も尊敬され大切にされている日本人を紹介させていただきました。
少しでも多くの方に知っていただけると嬉しく思います。