ビビりな私の台湾日記

ビビリな私の海外奮闘記です、台湾のあれこれ是非ご覧ください

日本のみんなに知ってほしいこと

『台湾に来る前に、私が習っていた歴史って一体なんだったんだろう。』

最近よく、そんなことを思うようになった。

 

今思うと、すごく薄っぺらく感じてしまうのは何故だろうか、

学校で勉強していた歴史が全く役に立たない。

 

『歴史は、戦勝国の歴史』そんな言葉もよく耳にするけれど、

果たして私たちが知るべき歴史は、一方から見た偏った歴史だけでいいのか、

知るべきものは、もっと奥深くにあるのではないかと思う。

 

わかりやすい例えを述べさせてもらうと、

『台湾と日本の歴史』でも同じことが言える。

 

『台湾は親日国』

誰もがそう思っているけれど、それは何故なのか、考えたことがあるだろうか。

自分の国を慕ってくれるのは嬉しいことだ、

そこだけ、いいところだけ切り取っては受け取ってはいないだろうか、

確かに、過去に日本は、台湾を統治していた時があった。

日本語を教え、日本の名前を与え(強制ではない)、インフラ整備をした。

端的に見ると、台湾が現代社会に近づくために日本が支援をしたとも取ることができるが、

『日本語を教える』と言うことは、日本語を使わなければいけないと言うことだ。

台湾には、中国語・台湾語など、元々台湾の人が使っていた言語があった。

しかし、それらは日本統治時代は規制されていた。

実際、今の若い人たち台湾語を話せる人があまり多くはない。

そして台湾の至る所にあった、寺廟も神社に建て替えられた。

台湾には、元々原住民が住んでいたのだけれど、その原住民も日本式の生活を強いられた。

自分たちの昔からの風習を重んじる原住民、

突然生活の全てと取り上げられるのだ、生きていく術がない。

当然反発する。従わない場合は、武力で制圧したのだ。

古典的な武器しか持たない原住民に対して、現代的な鉄砲や大砲なんかの武器を使って。

こういった歴史、私は台湾に来るまで知らなかった。

 

それでも、『台湾が親日』だと言われる訳。

 

命をかけて台湾を良い方向にしようとした日本人がいたから。

 

八田與一もその1人。

きっとこれを知っている日本人は少ないだろう。

 

日本が台湾を統治していたその当時、台湾の上下水道の整備を担当していた。

台湾に、『嘉南平野』と呼ばれる場所がある。

台湾で一番大きな平野だ。

その当時、整備がされておらず、雨季には洪水がき、乾季には旱魃が起きる。

農業をするには適しているとはいえない環境であった。

人々は、農作物に水をやるために牛車を使いで1日に何往復もし水を運んだ。

重労働ばかりする毎日では人手が必要になる。

子供は学校に行き教育を受けている場合ではないのだ。

大人だけではなく、子供も農業に参加した。

そこまでしても十分な収穫はできなかった。

そこで日本からきた水利技術者の『八田與一』が

『烏頭山ダム』を建設した。

この事業は、国家予算の3分の1をつぎ込んで行われるほど重要視されていた。

ダムの建設には、労働力が必要になる。

農業そっちのけで、ダムの建設ばかりに時間と力を費やすのは、

初めは、地元の人たちからの賛同が得られず

作業は難航したけれど、時間が経つにつれて同意が得られるようになった。

しかし、ダム建設途中の1923年、日本で関東大震災が発生し、

国の予算を、関東大震災の復興に充てることになり、

ダムの建設に多額の予算をつぎ込むことが不可能になった

人件費を削減しなければならなくなり、

台湾人は当然自分たちが解雇されると思っていたが、

八田與一』は、

「将来このダムの水を使って生活していくのは、台湾の人々だから」と言う理由と、

「今台湾の人々を解雇すると生活していけないが、

日本人は日本に帰って仕事を探すことができるから」

と言う理由から、解雇された人は、ほとんどが日本人だった。

1920年に着工されたこの事業、完成まで10年の月日を要し、

完成したのは1930年だった。

ダムの完成したおかげで、子供たちは、学校に行き教育を受けることが可能になった、

また大人たちも、牛車で水を運ぶ必要がなくなり、

他のことに時間と労力を充てることができるようになり、次第に生活の質が向上し始めた。

 

もう100年近く前のことだけれど、

今でも台湾には『八田與一』の石碑があり、毎年彼の命日には式典がおこなられているほど、

台湾の人々から慕われている。

その石碑も、立ってみんなを見下していう感じはして嫌だと言う謙虚な彼の思いを汲み取り、座った形での石碑になっている。

 

こういったように、日本人が知っておくべきなのに、知らないことがたくさんある。

私も台湾に来て初めて知ることが多く、

時に日本人として知らなかったことが恥ずかしく思えてしまうこともある。

 

台湾にいるからこそ学ぶことができることを、これからも貪欲に学んでいきたいと思う。