ビビりな私の台湾日記

ビビリな私の海外奮闘記です、台湾のあれこれ是非ご覧ください

あっという間の1年

またまた前回の投稿から日が空いてしまいました。

すみません、、、(><)

 

時間が過ぎるのは早く、気づけば私が台湾にきて1年が経っていました。

「やっと1年経ったのか」「もう1年経ったのか」

どちらの考えも思い浮かびました。

1年前の8月28日

九州地方は大雨に見舞われていて、飛行機が飛ぶかさえも危うい状況の中、

空港に行くための電車も運休になってしまい、

母の咄嗟の判断でかろうじて運行していた高速バスに乗り込んで、なんとか空港にたどり着く事ができたあの日のことをつい最近のことのように覚えています。

空港までお見送りにきてくれるはずだった地元の友人は、電車の運休と悪天候のせいで

1人も来る事はできませんでしたが、家族と一緒に中国語を勉強していた仲間たちに見送られ「泣いてはダメだ」と必死の思いで堪えていたのが懐かしいです(笑)

 

飛行機に乗り込み、母がくれた手紙を読むと、

もう涙は堪えきれず「帰りたいよ、、」と1人で大号泣しました。

4年間という想像できない長い時間を1人で海外で暮らす漠然とした不安と、

末っ子で、家族全員から可愛がられたくさんの愛を受けながら育ってきたからこそ

家族と離れて生活する事が想像できず、余計に不安だったのかもしれません。

「ハナなら大丈夫だよ」友人や家族に言われても、

不安で仕方なくて、友達ができるかさえもわからず、大学の寮に到着してからも、

ルームメイトが誰もいない4人部屋で1人涙し、

次の日、英語のテストを受けながらまた「自分はここで何をしているんだろう」と涙し、

母と電話をして帰りたくなってまた涙し、、、

今思い返せば、懐かしい思いでいっぱいですが、

台湾に来たばかりの頃は、泣いてばかりの毎日でした(笑)

 

台湾に来てからというもの、家族のことを思わない日はありませんでした。

自分の思っていた以上に、自分は家族のことが大好きなんだと、日々実感しています。

母が持たせてくれた毎月の生活費が入った封筒にひと月ごとのメッセージが書いてあるのを見て、離れていても母の愛を毎月感じていました。

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時折日本から送ってくれる仕送りの中にも、母の愛がたくさん詰まっていました。

友人が私が嬉しそうに箱の中を見ている姿を見て、

「幸せな家庭で育ったんだね」と褒めてくれるのが、

なぜか嬉しくて誇らしい気持ちになりました。

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父が毎日一生懸命に働いて学費や生活費を出してくれて、母がうまくやりくりしてくれているおかげで、今台湾で大学生活を送らせてもらっているので、せめてもの気持ちで「帰りたい」の言葉を出さないように心がけていました。

私のために頑張ってくれているのに、マイナスな言葉を言ってしまうのは、

父や母に対して1番失礼な事のように思えるからでしょうか、、、 

 まだ今の私には、父と母に対して何かしてあげられることは少ないですが、

ここ台湾で笑顔で過ごす事が、父と母にとっての恩返しだと思います。 

 

台湾行きてすぐ、クラスで自己紹介をした時、

「大家好,我是來自日本的華奈(皆さんこんにちは、日本からきましたハナです)」

一瞬で注目の的になってしまい、日本人ブランドの凄さを実感しました(笑)

しかし、グループができてしまっている台湾人の中に入り込んでいく勇気は持てず、

いろんなグループの中を渡り歩いていたとき、体育の授業のオリエンテーションでたまたま隣に席に座っていた3人組の台湾人と仲良くなって、自然とその後の授業でも4人一緒に受けるようになりました。そこからまた別の4人組と仲良くなって、私の周りは7人の愉快な台湾人のみんなが常にいてくれました。

みんながいる大学生活が楽しくて、何かあったら絶対助けてくれて、

私が怒っていたら一緒になって怒ってくれて、悲しんでいたら一緒に悲しんでくれて、

いつの間にか『友達』とよべる存在ができていたように思います。

 

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日本の家族、友人、そして「家族がいなくても私たちがそばにいるよ」といつも力になってくれる台湾の友人のおかげで、

今の私は毎日幸せな時間を過ごさせてもらっています。

1年前の自分に伝えてあげたい、

「1年後の自分は毎日笑ってるよ」と^^

 

書きたい事がうまくまとまらず、拙い文章になってしまいました、、、

今日も最後までよんでいただきありがとうございます。