ビビりな私の台湾日記

ビビリな私の海外奮闘記です、台湾のあれこれ是非ご覧ください

台湾でまさかの、、、、

自主健康管理期間4日目

 

4日目ともなれば終わりが見えてきて、

気持ちの面でも少しだけ明るくなれているような気がします。

約1ヶ月間の隔離生活もまもなく終了、また忙しない毎日に戻るかと思うと、

嬉しい反面、悲しい反面、、、(笑)

しかし、自由に外出できるのは、やはり嬉しいですね!

 

隔離から解放されたら、美味しいものを食べに行ったり、

台湾でしか経験できないことをたくさんしたいです。

経験といえば、、、いつの日か兄から言われました。

 

『自分で稼いだお金は自分の経験のために惜しみなく費やすこと』

 

前学期の途中からアルバイトを始め、日本に帰国するまでの3ヶ月間

週に4〜5日間ほど、学校が終わってアルバイトをする生活をしていました。

3ヶ月間でいただいたお給料、、、

18600元(=69800円)

時給換算すると160元(=600円)日本では考えられないお給料だと思います。

 

 

高校時代は部活で忙しく、その上校則で禁止されていたためアルバイトはできず、

高校を卒業した後は毎日朝から晩まで中国語の勉強に追われていて、

あの頃の自分にはアルバイトをする体力と気力の余裕がありませんでした。

もっと自分を追い込めばアルバイト1つくらいできたのかもしれませんが、

両親も切羽詰まっている私をみてアルバイトをすることを強要することもなく、

ただ見守ってくれていました。

そういうわけで恥ずかしいことに私は日本でアルバイトをした経験がないので、

 

20歳目前で人生初のアルバイトを

台湾で経験することになりました。

 

 

 

アルバイトをする前から決めていたことが1つだけあります。

『初めてのお給料は全額家族と友人に使う』

自分のためではなく、愛する家族といつも助けてくれる友人のために何かをする!

それだけを目標にアルバイトを始めました。

 

私は3兄弟の末っ子で小さい頃から自由奔放、

「あれやりたい!これやりたい!ここ行きたい」とわがままばかり言って、

それはそれはとんでもない娘だったと思います。

母の優しさに甘えて、強くあたったり、思ってもない言葉を言ったり、

反抗してばかりで、最低な娘だったということを

今この文章を書きながら思い出しました。

もし私に自分の様な娘がいたら絶対に育てられません、、、(笑)

 

全力で愛してくれる母と、そっと見守ってくれる父。

親って本当に偉大です。

 

そんな大問題児の私が、家族の元を離れ、1人で台湾に来ることを決め、

何か一つでも成長しているところをみせて家族を安心させたかった。

その思いが強かった様に思います。

末っ子として甘やかされてきた私が成人し、

兄弟全員が大人の仲間入りした今回を区切りに、

自分なりに家族にお礼のプレゼントがしたくて、

3ヶ月間それだけを目標に頑張りました。

「家族にプレゼントなんて当たり前でしょー」と思うかもしれないけれど、

今までの感謝の気持ちと、大人になったという証を

ずっと持っていられるモノをとうして家族全員に送りたかったんです。

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今の自分ではこのレベルで精一杯でした、、、

でも、きっと少しは成長を感じてもらえたはず、、、、です!

 

次いただいたお給料は、

兄の教えの通り自分の経験のために使いたいと思います^_−☆

 

 

人生初のアルバイトを台湾ですることになるとは、、、

想像もしていませんでした。

人生って本当に何があるかわかりません、これだから面白い!